今の私は薄皮饅頭に似ている。 皮が薄い。 いや、DNAに逆らうことなく母によく似た皮膚の薄さから、太ももに糸ミミズみたいな血管が見える、とか、そっちの意味ではなく。 ある年齢までは、他人の痛みとか不幸とかに、とても鈍磨していた。 擦り切れ過ぎて、共用材料として感じられなかった。 痛い、も。 ツライ、も。 悲しい、も。 それは個人的な感情であり、それを「カワイソウ」と言うのは驕った卑しい感情なのだと。 そう、思っていた。 だって、誰も私の「痛い」も「ツライ」も「悲しい」も、一緒に分かち合ってくれなかったし、理解してくれなかったもの。 アホだね~♪ そう。それを、「アホだな」って、思うようになった。 確かに、当人のナマの感情をそのまま理解することは出来ない。 でも、寄り添うことは出来る。 寄り添って、癒すことは出来る。 昔は、「嬉しい」も「楽しい」も、他人が感じれば他人のモノで、自分には関係ないから、それも、興味なかった。 それが、今では、自分が楽しかったり嬉しかったりするのと同じ位、大好きな人が楽しかったり嬉しかったりすると、とっても幸せな気持ちになる。 自分以外は「他人」しかなかったのが。 「自分」と、「他人」と、「大好きな人」というカテゴリーが出来た。 「自分」と「大好きな人」は、共通であり、自らのことのように感じる時がある。むしろ、「自分」が幸せになるよりも、幸せであって欲しいとすら、深く思う。 そんな最近の私。 昨日、図書館に行った。 読みたかったドキュメンタリー本を発見。 『戦争の世紀を超えて』(森達也/著 , 姜尚中/著)。 アウシュビッツや東京大裁判の現場を歩き、二人で語り合った著作であるが。 痛い。痛すぎる。 ダメだ。全てに於いて、痛すぎる。 撤退。 次に、『うつ病の人の気持ちがわかる本』(保崎秀夫/著)。 い…痛い(汗)。 なんか、ダメだぞ。今日のアタシ。 他人の感情が痛すぎる。痛い、ツライ、という人の痛さや辛さがストレートに皮膚に突き刺さる。 結局、痛くない本を!というコトで、借りてきたのは。 『ゆるキャラ大図鑑』(みうらじゅん/著)と、『寂聴ほとけ径 続(私の好きな寺)』(瀬戸内寂弱/著)。 ……。ゆるキャラ、いいッスね。いちいちついてるコラムも秀逸で、改めてみうらさんを尊敬しました。そして、寂弱さんは、滋賀の比叡山とか写真もふんだんに、お寺や仏さんに対する慈愛の眼が優しく、美しく柔らかい日本語に癒されました。 こっちかぁ。今のアタシ…(笑)。 薄皮饅頭みたいに、色々なモノに鋭敏になっている。 痛みや、憎しみや、辛さや、嫌いという悪感情。 そろそろ、中身のあんこが腐ってきているかもしれないなぁ…。
by kankorelovers
| 2015-09-01 15:25
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